富山城、富山城址公園

富山城は富山市にある城で、「安住城」とも呼ばれています。富山城址公園は、富山城がある公園です。いずれも、JR富山駅から徒歩でいくこともできるので、富山市中心街に宿泊することがあれば、立ち寄ってみるといいでしょう。というわけで、まずは、富山城、富山城址公園の詳細です。

富山城、富山城址公園の風景写真 富山城、富山城址公園の写真
住所 富山県富山市本丸1
※)住所はカーナビで使ったり、GoogleやYahooの地図で場所を確認するために使うといいですよ。
駐車場 有料
料金 無料
一言 富山市にある城です。「安住城」とも呼ばれています。また、本丸跡は公園になっています。
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富山城、富山城址公園の詳細・レポート

富山城(とやまじょう)は、戦国時代に、この地の豪族神保氏が築城しました。のちに、織田信長の家臣佐々成政が富山城主になり、大改築をしました。しかし、豊臣秀吉に城を囲まれ、佐々氏は降伏しました。そして越中(富山)は加賀の前田氏のものとなります。寛永16年(1639年)、加賀藩三代藩主前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立しました。富山前田氏は明治維新まで富山城に住んだそうです。
城は、明治に入り廃城となり、建物は解体されたり、堀はほとんどが埋められてしまったそうです。本丸跡に建つ天守は犬山城にならって、昭和29年(1954年)に復興したものです。
2005年に改修した天守閣部分が富山市郷土博物館となっています。博物館では、400年以上にわたる富山城の歴史を紹介しています。園内には、東洋の古美術を中心に展示する佐藤記念美術館もあります。
現在、本丸跡は「富山城址公園」となっていて、市民の憩いの場となっています。
富山城は、滝廉太郎の「荒城の月」の題材になった城の一つと言われています。ちなみに、滝廉太郎は少年時代の2年間を富山市で過ごしています。富山城の近くにある、その昔、滝廉太郎少年が通った小学校の跡に滝廉太郎の像がありますよ。

(レポートの文責:青山透子)

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富山城、富山城址公園の写真(サムネイル)

富山城、富山城址公園の写真です。サムネイルになっているので、小さな写真をクリックすれば、大きな写真になります。ちなみに、写真は、どのような感じの公園なのかの参考にしていただくために公開しているので、それほど大きな写真ではありません。

・横向きの写真:幅640ピクセル×高さ480ピクセル
・縦向きの写真:幅480ピクセル×高さ640ピクセル

富山城、富山城址公園の写真のサムネイル写真1 富山城、富山城址公園の写真のサムネイル写真2 富山城、富山城址公園の写真のサムネイル写真3
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※)写真の著作権は放棄していません。無断の利用は固く禁止させていただいております。

(文責、写真:Ishizaki Hideho)


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