知恩院
知恩院は、浄土宗の総本山です。法然上人の弟子が法然の住居跡に御影堂を建立したのが起こりです。ここは、法然上人が浄土宗の教えを広め始めた場所でもあり、亡くなった場所でもあります。京都観光で有名な観光地でもあるので、立ち寄るといいでしょう。というわけで、まずは、知恩院の詳細です。
知恩院の風景写真 | |
住所 | 京都府京都市東山区林下町400 ※)住所はカーナビで使ったり、GoogleやYahooの地図で場所を確認するために使うといいですよ。 |
駐車場 | 三門前があります(ただし、スペースに限りがあるので注意)。 |
料金 | 無料開放されているところ、有料のところがあり |
一言 | 浄土宗の総本山です。法然上人の弟子が法然の住居跡に御影堂を建立したのが起こり。 |
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知恩院のレポート
1175年、43歳の時に法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読み、「専修念仏」の思想に目覚め、浄土宗を開き、布教を始めました。「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に弥陀(阿弥陀如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする教えでした。しかし、旧宗派の人々の反対にあい、1207年に四国に流されてしまいました。4年後に京都に戻ることを許されて、また布教を始めました。その翌年、法然は亡くなりますが、弟子によって発展してゆきました。
徳川秀忠によって建立された国宝の三門が有名です。
一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対して、知恩院の門は「空・無相・無願」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)の意味で、「三門」と書くそうです。御影堂(国宝)は、徳川家光によって建立されました。御影堂の北東には大方丈と小方丈があります。
徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることが挙げられます。また、知恩院25世超誉存牛が松平氏第5代長親の弟であること、京都においての徳川家の拠点とすることや、徳川家の力を見せつけて朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったと言われています。
大方丈の仏間には快慶作の本尊阿弥陀如来像が安置されています。大方丈の襖絵は狩野尚信・信政・興以らの筆だと言われています。重要文化財の1つに大鐘楼があり、除夜の鐘で有名な梵鐘を支えています。梵鐘の大きさは高さ3.3m、口径2.8mで、重さは70トンもあるのだそうです。
二十五菩薩の庭とも呼ばれる方丈庭園は、情緒あふれる美しい風景で大変素晴らしく、名勝に指定されています。御影堂の「左甚五郎の忘れ傘」、大方丈と小方丈をつなぐ「鴬張りの廊下」、「瓜生石」などの知恩院に古くから伝わる七不思議も忘れずに見ておきたいところですね。(工事により非公開になっている箇所もあり注意)
(レポートの文責:青山透子)
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知恩院の写真(サムネイル)
知恩院の写真です。サムネイルになっているので、小さな写真をクリックすれば、大きな写真になります。ちなみに、写真は、どのような感じの寺社仏閣なのかの参考にしていただくために公開しているので、それほど大きな写真ではありません。
・横向きの写真:幅640ピクセル×高さ480ピクセル
・縦向きの写真:幅480ピクセル×高さ640ピクセル
※)写真の著作権は放棄していません。無断の利用は固く禁止させていただいております。
(文責、写真:Ishizaki Hideho)